休日電車に乗っていたら、死んだような顔をしているスーツ姿のサラリーマンがいた。顔は青白くヒゲがまばらで無表情。目の焦点は合わず、体に力が入っていなかった。つり革に支えられたその体は歪に曲がっているように見えて、まるで死体のようだった。

彼は生きているのだろうか、死んでいるのだろうか。死んでいるように生きていたら、それはもう死んでいるのではないだろうか。

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ジョブズはこう述べた。

「明日死んでも後悔しない生き方をしろ」と。

僕の好きなK−1ファイターの武尊(たける)はこう言っている。

「強い敵と戦うと、自然と笑ってしまう。生きている事を実感できる」と。

ああ、今俺は生きているな!

何か大きな事を達成したような、達成感のようなものを感じる時、こういう感覚になる事がある。いわゆる達成感、充実感、そういった感覚に近い。

僕は国立の医学部に合格した時、そう感じた。日本中の頭の良い奴らとしのぎを削って、勝った瞬間。身体中からエネルギーが溢れた気がした。

研修医になって、死にそうな患者を初めて自分の手で挿管して蘇生させて、ものすごい疲労感と充実感を感じた。大学に合格した時と似たような感覚だった。

内科医は複雑な病態を見て「ムム…なんだこれは見た事ないぞ…」と考えながら色々考えて、病態を突き止め治療方針が固まった時、達成感を得るだろう。

多大な時間と努力を注げる何かがあって、その結果何かを成し遂げて形になった時、人は大きな達成感を得ることができる。その達成感はダイレクトに生きている実感になる。今までやってきた事には意味があったんだ。無駄じゃなかったんだ。

そう簡単に報われない努力を、報われるまでやり続ける。きっとそうする事が、死んでいるように生きないための、生きている実感を得るために必要なたった1つの方法なのだろう。

だから僕たちは、そういう事を仕事にしなければならない。片手間で行う趣味程度のものでは、達成感は得られない。全力で時間を注げる「仕事」にしなければならない。仕事とは、現代人の人生において最も多くの時間を注げるものであるはずだから。

もちろん、趣味を否定しているわけではない。趣味から始めてみて、本当にそれが好きで徐々に仕事へとシフトさせていけばいい。自分が没頭できる趣味がある人は、その芽を絶やすことなくどんどん大きくしていくべきだ。ただ、大して好きでもないのに、なんとなくカッコ良いからとか、自分の心の中で何かしらの打算があってやっている趣味なんて、やめてしまった方が良い。それこそ時間の無駄だと思う。

別に趣味がなくても良い。より抽象的でも良い。とにかく金が欲しい。とにかく喧嘩が強くなりたい。とにかく有名になりたい。とにかく男にモテたい。そこから手段を考えれば良い。

むしろ趣味というのは、そういった抽象的な欲望をわかりやすく具現化しただけの手段にすぎない。自分で何か作品を作り上げたい、という抽象的な思いが具現化したのが油絵であったり、陶芸であったりカメラであったりするだけのことだ。

では、死んだようなサラリーマンは、なぜそうなってしまったのだろうか。

まず上記のような思考に至らなかったという可能性が1つ。この記事を読んでいる人にとっては関係ない。

次にそういう思考をしたり仕事以外の何かをやる時間がないという可能性が1つ。これは大いにあり得る。実際に社会人になると、とにかく忙しい。仕事を効率的に終わらせて、80点で良いから半分の時間で終わらせて、時間をなんとか作り出すしかない。

そして最後に、途中で思考を停止してしまった可能性がある。最初は違和感を感じていて、俺の人生これで良いのかなあ、なんて思っていたが、平凡な日々に流されてしまった。まあこれでいいやと思って、自分が本当にやりたかったかもしれない事から離れ、昔使っていた趣味道具は埃をかぶったまま。

きっとこれらの要素が絡まり合って、死んだように生きているサラリーマンはできあがったのだろう。

僕もそうならないよう、備忘録的にここに記しておく。