僕は車を手放す事にした。少しもう古くなってしまっているのと、この前事故を起こしてしまって修理にお金がかかりそうだったため、「いっその事買い換える」という判断に至った。

事故はもちろん、物損事故。僕は精神的なショックを受けると、注意力がガクッと落ちる特徴があるようだ。少し前は23針を縫う大怪我をしてしまった。人生2回目の、精神的ショックによる注意力散漫が原因の事故であった。

いざ車を手放すとなって、ここまで寂しい気持ちになるなんて、思わなかった。

まるで親友を失うような、恋人と別れるような、そんな感覚が最も近い。自分の行きたい時に行きたいところへ連れて行ってくれる、自分のわがままに徹底的に付き合ってくれる、素晴らしい人を手元から放つ、そんな印象を受ける。

理由を考えてみる。

彼は良き友で、僕のわがままに付き合ってくれた。数日放置されていても、そこにとどまって僕の帰りを待ってくれていた。汚れていても文句を言わず、洗ってあげるとキランとフロントガラスが光る。その時はまるで喜んでいるような気もした。

彼は僕の恋人、家族、友人、同級生、いろんな人を乗せて旅に連れて行ってくれた。彼がくれた経験と過ごした時間は、間違いなく人生においてプライスレスな物になっている。

しかし、ここまで悲しい、辛い気持ちになる理由にはならなかった。

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昔付き合っていた人と、よくこの車で出かけたものだった。

彼女は助手席ですぐ寝てしまっていた。「あなたの運転は人を眠くさせるね」と言って、僕のせいにして寝てしまう。着いた頃に起こしてあげると、急に元気になってはしゃぐ。運転してきたこちらの方は疲弊している。得てして目的地に到着するとテンションが逆転していたものだった。

彼女は助手席でよく歌を歌っていた。僕のiPodから、好きな歌を勝手に選んで勝手に歌っていた。時には振り付きで踊る。まさに「天真爛漫」とはこの事だと思う。

彼女は時に、外を憂いげに眺めていた。そんな顔もするんだ、と感心して眺めていて前を見ておらず、急ブレーキをかけた時もあった。

要するに、この車には昔付き合っていた人との思い出がありすぎるのだ。

今は離れた地でお互い頑張っている。これほど心を通わせる事ができた人は今までいなかったし、これからも現れないと思う。そう思える人とのたくさんの思い出を、車と同時に手放さないといけないとは。

これは想定外だった。

しかし、それと同時に、前を向かないといけない、新しい未来に向かって道を切り開かないといけない時間なのだとも思う。

この文章を見て、「何を車の1台で」と思える人が羨ましい。こんな思いをしなくて良いなんて、本当に羨ましい。車が無いか、車で大切な人と過ごした時間が無いか、大切な人がいないか、どれが理由なのかは知らないが、いずれにせよ今は本当に羨ましい。

「そろそろ寝ないといけない」時間が来るように、そろそろ思い出を本物の「思い出」として、記憶に焼きつけて「奥にしまっておかないといけない」時間が来たようだ。

諸行無常の悲しさとは、つまりはこういう事なのかもしれない。